箭先地蔵堂・矢尻の井
せんさきじぞうどう・やじりのい古代兵士の喉を潤した
「不破関資料館」から中山道を通り、藤古川橋を渡ると急坂に差し掛かります。この坂を上りきると「箭先地蔵堂(せんさきじぞうどう)」があります。この地蔵堂は、明治11年に坂を開削した時、出土した地蔵と、弘文天皇稜候補地の傍にあった地蔵を合祀して作られたものです。またこの地蔵堂の脇にある井戸が「矢尻の井」と伝えられています。この池は、壬申の乱の時、兵士が飲料水を求めて矢尻で掘ってできた井戸だそうです。脇に新道ができるまでは、水が枯れることはありませんでした。「関ケ原宿」から「今須宿」に向う中山道のうちでも、「不破関」「藤古川」と続くこのあたりは、『木曾路名所図会』にも描かれ、歌枕にもなっています。
先端なのに、尻?
矢の先端の名称は「矢尻」といいます。なぜ一番先なのに「尻」なのでしょうか?諸説ありますが、1つは「しり」という語は古くに「(物などの)端、または先」という意味があったことに由来するという説と、もう1つは「しり」という言葉は、動物の臀部から転じて、「器物の下の端」という意味から来たという説です。通常、矢は矢筒に入れて保管され、矢の刺さる部分が下に向いています。「矢の下の端」だから「矢尻」であるという話です。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字藤下275-2 |
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アクセス | 不破関資料館より徒歩10分 |
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