琳光寺・長寿院盛淳の墓 (大垣市)
りんこうじ・ちょうじゅいんもりあつのはか- 駐車場
- 入場無料
主君の身代わりとなって討ち死にした盛淳
長寿院盛淳は、元々は護国山安養院の住持でしたが島津義弘に力量を見込まれ家老となりました。関ケ原の戦いでは前々日に薩摩から駆け付け、義弘はその参陣を大いに喜びました。
戦い当日では、西軍の負けが決定的となると島津隊は的中突破を敢行し、伊勢街道へと撤退しました。その途中で島津義弘の甥の豊久が捨て奸を用いて敵軍と対峙し討ち死にしました。その後盛淳は豊久と同じく捨て奸を敢行し、島津義弘から賜った陣羽織を身に着け、身代わりとなって踏みとどまり従士と共に討ち死にしました。
※駐車場は、写真一覧にございます琳光寺専用駐車場をご利用ください。
長寿院盛淳が眠る琳光寺
淋光寺の境内には、盛淳子孫が建てた墓があり、墓の後ろには盛淳を供養する五輪塔があります。
この五輪塔は、江戸時代中期の宝暦年間に木曽川の治水工事を行った薩摩藩士がこの地を訪問し建立したと言われています。
スポット詳細
住所 | 岐阜県大垣市上石津町牧田2487 |
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