スポット情報

桃配山・徳川家康最初陣跡

ももくばりやま・とくがわいえやすさいしょじんあと
腰掛石と机石
腰掛石と机石
史跡名勝天然記念物
#関ケ原合戦 #壬申の乱
  • 駐車場

「壬申の乱・関ケ原合戦」二大戦の陣跡

「桃配山」は国道21号線を挟んで中山道の松並木のほぼ向かいにあります。実は「桃配山」は二大戦の陣跡と言われています。家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いたという言い伝えがあります。家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置いたといわれており、関ケ原の合戦時に徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が今も残っています。合戦当日の朝、小雨が降り1m先も見えないほどの濃い霧が立ち込めた関ケ原、この場所に立った家康は勝利を確信していたのでしょうか。

桃を配ったのは、大海人皇子

壬申の乱の時、大海人皇子に村人より山桃が献上されました。大海人皇子は、その山桃が非常に美味であったので兵士の士気を上げようと配りました。その故事により「桃配山」と名づけられました。山桃は今も桃配山で見ることができ4月から5月ごろに小さな白い花をつけます。6月ごろに暗赤色の実を付け、遠くから見るとツヤがあり、小粒の赤いビーズを一面に並べたように見えます。

文化財情報

国指定・史跡名勝天然記念物
文部省告示第115号
指定年月日:昭和6年3月30日

スポット詳細

住所 岐阜県不破郡関ケ原町大字野上1424-1
電話番号 -
営業時間 -
定休日 -
料金 -
駐車場 8台
アクセス R21一ツ軒交差点より東へ200m
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