島津豊久碑(烏頭坂)(大垣市)
しまづとよひさのひ(うとうざか)義弘と豊久の絆
旧伊勢街道沿い、瑠璃光寺近くの林の中に、島津塚と呼ばれる豊久の墓が建立されています。現在は新しい顕彰碑も建っており、毎年、島津家に縁のある鹿児島県の小中学生が必ずここを訪れているそうです。その昔「宝暦治水木曽三川工事」にやってきた薩摩の藩士たちも、この塚に必ず立ち寄ったともいわれています。豊久は、当主であり叔父にあたる義弘を救うべく身代わりとなって、討ち死にしました。実子同様の扱いで養育されていた豊久ですが、義弘には大変な恩義を感じていたそうで、一説によると、義弘は豊久に家督を譲る考えだったともいわれています。
島津家を守った「捨てがまり」
小早川の寝返りで劣勢の西軍。そこに属していた島津隊もすでに東軍に包囲されていました。そこで島津隊は窮地を脱する為に、「捨てがまり」といわれる、特殊な戦法を選択しました。この戦法は、退却する部隊の一部がその場に留まり、足止めをし続けるというもので、当然足止めにまわった部隊は全滅してしまいます。その捨てがまりのしんがりを務めた豊久は、若干30歳の若さで亡くなりました。捨て身で家を守った豊久の忠誠心と、戦国時代のお家存続の大切さがよくわかります。
スポット詳細
住所 | 岐阜県大垣市上石津町牧田741 |
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アクセス | 関ケ原ICから南東へ車で5分 |
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