本多忠勝陣跡
ほんだただかつじんあと戦機熟するや島津の陣へ
「十九女池」の西側に位置するところに、合戦時、東軍・本多忠勝が陣をおいたとされる史跡があります。忠勝は、三方ヶ原・長篠の合戦に参加して、数々の功を上げた猛将だったようです。また、勇猛なだけではなく智略も備えた名将で、関ケ原の戦いでは、軍監として参戦しており、松平・井伊隊が対戦していた島津隊に向かって進撃し、西軍武将の切り崩しにも努めています。さらには、政治家としても力量を発揮し、特に人心掌握に努めて領民の敬愛を集めたといういわれもあります。
天下人に牙を剥いた男!?
本多忠勝は、関ケ原合戦において西軍に与した真田昌幸・信繁(幸村)親子の助命を、昌幸の長男であり、娘婿の真田信之と共に、徳川家康に嘆願しました。徳川家臣は、合戦で、徳川軍が昌幸・信繁に度々煮え湯を飲まされていたこともあり、両名の助命に猛反対しました。忠勝は初め、理詰めで説得をしていましたが、いつまでも首を縦に振らない家康に対し「認められなければ、殿と一戦交える覚悟だ」と啖呵を切り、家康を驚かせました。その結果、昌幸・信繁の助命が決まったそうです。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原3441-1 |
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アクセス | 関ケ原ICより車で5分 |
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