藤下の若宮八幡神社
とうげのわかみやはちまんじんじゃ
史跡名勝天然記念物
心優しき村人が作った神社
「不破関資料館」から藤古川方面へ進み、川を越えた場所に「若宮八幡宮」と記された大きな標柱が立っています。そこからさらに住宅地の間を抜けていくと、弘文天皇を祭神として祀る「若宮八幡神社」があります。壬申の乱の際、藤古川を挟んで西に大友皇子(弘文天皇)、東に大海人皇子が陣をとり、対峙しました。この神社のある藤下地区の住民は大友皇子側について参戦したそうです。壬申の乱後、大々的にはいえなかったそうですが、この地区の住民は共に戦った大友皇子を祀り、この神社を作ったと伝えられています。ちなみに、本殿は町指定の重要文化財となっています。
若き才能の持ち主、大友皇子
壬申の乱後、編纂された『懐風藻』などの書物によると、大友皇子は体格・容貌共に優れ、博学で文武の才に長じており、帰化人学者を招いて賓客とするなど、その才能をうかがわせる記載があります。20歳で太政大臣に拝され、23歳で皇太子となりました。ただ年齢が若かったため、多くの人の信頼を得ることが無かったことと、叔父の大海人皇子(天武天皇)が偉大であったことなどが影響して、大友皇子が天皇に即位することができなかったのではないか、といわれています。
文化財情報
創建は定かではなく、「若宮八幡神社御縁記」によると、元応二年に弘文天皇を祭り、応永十一年と明応九年に社殿修繕がみられます。「藤下若宮八幡神社本殿」は檜皮葺の桃山様式の極めて貴重な建造物で、町重要文化財に指定されています。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字藤下47-1 |
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アクセス | 不破関資料館より徒歩10分 |
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