しゃもじ塚(平忠常の墓)
しゃもじづか(たいらのただつねのはか)知ってびっくり、しゃもじ塚の由来
中山道関ケ原宿の松並木から垂井宿の方向へ徒歩5分ほど進み、民家の横を通って、さらに奥へと進むと線路脇の大きな椿の木の下に墓があります。別名「しゃもじ塚」と呼ばれるこの墓は、平安中期東国の武士・平忠常の墓です。当時、国家に反抗していた平忠常は、朝廷の源頼信により鎮圧され、降伏しました。その後、都へと移送されるのですが、その道中で病気になってしまいます。病気になった忠常に野上の村人が食物を「しゃもじ」に乗せて差し出すと、食物としゃもじを一気に口に入れ、そのまま息を引き取ってしまいました。村人はそんな忠常を哀れに思い、塚を築いて葬ったことから「しゃもじ塚」と呼ばれています。
大規模な内乱を起こした平忠常
平安時代中期、房総三カ国で平忠常の乱が起こりました。この乱で朝廷は討伐軍を派遣しましたが、平忠常は徹底的に抵抗したため戦は3年にわたって続きました。ところが、討伐軍に源頼信を起用するとすぐに忠常は降伏してしまい乱は終息します。頼信の出陣で忠常があっけなく降伏したのには、忠常が頼信の家来であったためといわれています。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字野上382-1 |
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アクセス | 中山道松並木より徒歩5分 |
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