兜掛石・沓脱石
かぶとかけいし・くつぬぎいし大海人皇子が使ったとされる石
「不破関資料館」から関ケ原駅方面へ中山道を少し進むと、民家の畑の中にひっそりとたたずむ石が2つあります。壬申の乱にて大海人軍は、桃配山を出て西へ行軍し、関ケ原松尾付近(現・不破関資料館周辺)で大友軍に詰め寄りました。その時、大海人皇子が兜を脱いでかけた石とされるものが「兜掛石」です。「兜掛石」は小さな祠に祀られており、大きな木の下に鎮座しています。また、すぐ左手後方には大海人皇子が沓(くつ)を脱いだ時、足を掛けられたとされる「沓脱石」もあります。この地は壬申の乱の翌年に造られた不破関のほぼ中心地であったことも伝えられています。
兜は貴重品!? リーダーの証!?
古代の兜は、頭部を保護するためのお椀を逆さまにしたような鉢と呼ばれる部分と、その下に後頭部から首を保護するためのシコロ(たれ)が付いていました。主に鉄製でしたが、上位の武将になると金銅(銅に金メッキをほどこしたもの)の兜や頂きに雉の羽などが飾られた兜も使用されました。壬申の乱に参加した多くの兵士は農民兵であったため、頭に布を巻いた姿で戦い、兜を被ることができたのは、ごく少数の武将のみでした。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字松尾39-1 |
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アクセス | 不破関資料館より徒歩10分 |
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