松平忠吉・井伊直政陣跡
まつだいらただよし・いいなおまさじんあと決戦の火蓋をきった、抜け駆け武将
関ケ原駅のすぐ近く、「東首塚」境内の東隅に、「松平忠吉・井伊直政の陣跡」があります。以前は首塚より東へ200mほど行った場所にあったとされていますが、大正時代に現在地に移転されました。関ケ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一念でした。東軍先鋒は福島隊と決まっていましたが、午前8時頃に、福島隊の先頭隊長・可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となりました。その後、直政と忠吉は島津隊を追撃し、大きな戦果を挙げますが、2人とも傷を負ってしまいます。特に、直政の傷は深く、その傷がもとで2年後にこの世を去ってしまいます。
最強の赤揃えを継承した先鋭部隊
鎧・兜・槍などの武具の全てが赤一色に染められていた直政率いる井伊隊は、「井伊の赤揃え」と呼ばれています。井伊隊は、「武田の赤揃え」=「最強部隊」として定着していた武田家の滅亡後、その遺臣を徳川家康から託されると同時に、天下に知られた「赤揃え」を継承しました。この赤い集団が戦場に現れると、敵陣は恐怖し、浮き足立ったといわれています。
スポット詳細
住所 | 岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原908-3 |
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アクセス | JR関ケ原駅より西に徒歩3分 |
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